2018-04-18 第196回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第6号
特に、ですので、定時制ですとか底辺校と言われるような、高校以上ですね、基礎自治体が小中学校をやってくださるということであるのであれば、高校以上のところにそこに資源が投入できるように国として働きかけていただきたいなというふうに思います。 最後に、一点だけ、指標についてお話をさせていただければというふうに思います。
特に、ですので、定時制ですとか底辺校と言われるような、高校以上ですね、基礎自治体が小中学校をやってくださるということであるのであれば、高校以上のところにそこに資源が投入できるように国として働きかけていただきたいなというふうに思います。 最後に、一点だけ、指標についてお話をさせていただければというふうに思います。
ですけど、そういった子たちが何人いるかだとか誰かということは分からなくても、でも給食を始めればそういった子たちの一番の助けになるわけですし、それと同じように、学力格差であってもそうですし、また、定時制高校ですとかいわゆる底辺校と言われるような高校といったところにはもう既にそういったお子さんたちが多くいらっしゃるということは分かっているわけですから、そういったところに資源を投入することによって、必ずしもその
我々がやったことは、学力底辺校に対して評価の高い校長を配置するということです。それすらやっていないんですよ、はっきり言えば。幾ら予算をつぎ込んだって、校長先生が「ん」と言うのでは、学校はよくなりませんよ。 そんなことすらやっていない人たちに、ひたすら民意なしに任せればいい、教育長に任せればいい、それはどうかしているんじゃないですかね、私に言わせれば。 以上です。
○伊吹国務大臣 なかなか国会が解放してくださいませんので、視察に行くというのは非常に難しくて、東京都内の公立の学校、私立の学校を若干拝見した程度なんですが、私の地元の私立の学校は、ある意味では、先生の先ほどおっしゃった言葉からいうと、やや底辺校的な学校であったのが、随分力を入れてブライトな学校になってきているとか、これはその結果として進学率が上がってきているとか、そういう学校は私、何度か見に行ったんですよ
余り国会で私こういう本を取り上げることはこれまでなかったんですけれども、「見捨てられた高校生たち 公立「底辺校」の実態」ということで、ややもすると今の国会の議論は、賢い人がより賢くなる議論が多いかと思うんです。
ですから、ほぼ全員入学ということは、そこには様々な子供たちが、様々というのはいわゆる学習の前提となる基礎的な習得、何といいますか、知識、理解とか、そういういわゆる学力と言われるものの習得状況も様々に違っている子が来ているので、しかもそれが選抜制度によって、まあよく輪切りと言いますが、トップクラスのところから底辺校と言われ、教育困難校と私たちは使いますけれども、そういう現実がある。
イギリスでは、学校のランク付けによって底辺校は廃校に追い込まれ、学校が障害を持つ子供を受け入れることを嫌がるという事態が起きました。底辺校だとランク付けされ、廃校に追い込まれる学校に通う子供たちの心の傷をあなたは分かっていません。行き場のない若者による犯罪も増えたと言われています。絶望が社会の中に広がっていくことは、社会にとってもいいことではありません。
いわゆる底辺校、困難校問題が必ず起こるんです。 九三年の愛知県高等学校教職員組合教育困難校検討委員会の「困難校」白書というのを読んでみました。一年生で三十人の退学者を出している例もあります。遠距離通学も本当に深刻で、片道二時間三十分もかけて通学する例や、それはもう定期代がうんとかかるんですね、一カ月の定期代が四万千二百六十円もかかっている、こんな例もあるんですよ。
学区の中で底辺校というのがつくられて、本当にそこに入っている子供は大変だと思うんです、先生も。それでも、埼玉などでは教員の加配を実現して、底辺校でですね、丁寧な指導をやって退学者ゼロ、こういう学校づくりも進められているんですね。入学の意思のある子供には全員入学させる、それぐらいの志のある教育行政を二十一世紀には進めるべきだと思います。
ですから、底辺校というのができてくるんです。全然もう多様化じゃないですよ。選択肢が広がるということを意味しないんですよ。選択肢が広がるのは上の方の一部の子じゃないですか、全部受かりますから。 入学競争の激化を防ぎ、通学上の無理な負担を防ぎ、かつ各高等学校が平均的に向上することができるようにと、この目的はどうするんでしょうか。
ただ同時に、かなり底辺校というのも決められてしまって、スクールのナンバリング、ナンバースクールができてしまうという弊害もあると思うのですけれども、大臣は、学校間格差が広がるという弊害については、いかがお考えでしょうか。
それから高校において、いわゆる底辺校では高等学校の教育の内容をこなすことができていない。それから小学校、中学校においては、大量の落ちこぼれや不登校でありますとか、あるいは小学校低学年においてさえ学級崩壊のような状態が起こっております。
また、複線化されることで学校の序列化が現在以上に進み、いわゆる困難校や底辺校がいい学校の一方に生み出されることを懸念するものであります。 委員長初め委員の先生方の慎重な御審議をお願いしたいと思います。
例えば、今の例は高等学校段階でございますけれども、特色化の名のもとに情報コースを入れたりしても、それは、こういう言葉をお許しいただきたいんですが、いわゆる底辺校の代名詞のようになっていたり、理数科ということが大学進学コースの代名詞になっている。
いわゆる底辺校ともいいますけれども、偏差値ランクで生徒が余り勉強できない、嫌いな子が入ってくるというような学校では、もうたまらないということですね。それだけ申し上げておきます、生の声として。
○政府委員(遠山耕平君) 私どもとしては、底辺校でございますとか過疎地域の高等学校で定員割れをしている学校とか、そういうような決めつけはできるだけしたくないわけでございまして、なるべく高等学校については、単眼的な評価ではなくて多元的な評価、一直線に縦に並ぶ序列的な評価ではなくて横断的な、横並び的ないわゆる特色を持つ、そういう評価をしたいと思っております。
トップ校といわゆる底辺校と言われる高校が存在して、かなり大きな格差になっている。さらには校長先生のリーダーシップがない。教職員組合と校長先生との不毛な対立が続いている現場もある。そして教育。高校に来て教育をしたいと思った若い先生が、教育どころではない、高校生の生活指導に毎日追われている、こういう先生たちも多い。さらには、全く授業についていけない生徒たちもいる。そして学校は非常に汚い。